今を生きるために、昔の思い出をブログに。過去に遡って未来を導く。自己分析編①

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インストラクターの仕事

どうも!アラフォーインストラクターのしげちゃんです!今回は自分の過去について書いていきます。過去に振り返ることで自己分析を行い自分の人生の指針にするためです。

あとシンプルに書きたいだけですwではよろしくお願いします!


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始めに

現在の僕の状況は、コロナによって仕事が激減!!ダメージはかなり大きいものの、なんとかスポーツクラブのインストラクターの仕事ができています。

ブログ書いてる今現在2/1も緊急事態宣言が伸びそうです。でもまだ副業せずになんとかインストラクターの仕事だけでいけてます。しかし、いっぱいいっぱいなのは確かです。

知ってる範囲のクラブさんだけでも経営はかなりの大赤字です。燃えさかるくらい。非常に厳しい状況です。自分でも活動できるように考え中。

いつかは収益になったらいいなと思い、練習もかねて一般の方向けに運動と健康を伝えるためYouTubeで配信中。パーソナルも考え中。よかったらみてくれよなw

おそらく潰れていくクラブがもっと増えていくでしょう。それでも!こんな状況でも僕はインストラクターが大好きです。この仕事は絶対に続けたいと思ってます。

なぜこんな気持ちになれるのか?色んな理由はあるのですがその一つとして子供の頃の気持ちを思い出すことかなと思ってます。価値観や感情の根本は子供の頃から何も変わってないと思います。

なぜインストラクターに?

僕は現在スポーツクラブのインストラクターですが、何か特別に部活に励んでたわけじゃないです。むしろ途中で辞めるくらいであまり真面目ではなく、学校もマメには行ってませんでした。

専門学校も出てません。公立高校卒業のみです。

19歳の時にバイトの広告をみてて、時給のいい広告がスポーツクラブのバイトでした。社名はいえません。赤い看板のやつですwそうそうゲームの名前のあれですw

ちょっと太ってたので自分の身体も絞れるかな?とかものすごく安易に考えてました。そこまで詳しく調べずになんとなくで申し込み、多少ですが自分の事を盛った話をしてバイトに合格。

そこからがしばらくしてスタジオでレッスンさせてもらう。なんだこの楽しい雰囲気は?自分の中からエネルギーがドバーって出てくる感じでした。あの初めての感覚、何かから解放された感覚。

テストの時からレッスンの運び方がうまくて担当者の方も受講者もかなり喜んでくれて褒めてくれたことを覚えてます。ここでインストラクターが最高に好きになった瞬間かな?今思えばそうだと思う。

しかし、中身ができてない僕はめちゃめちゃ天狗でした。ピノキオがMAXに嘘ついたくらいw当時の僕はかっこつけで人の目ばかり気にしてました。本当に調子乗ってたなーw

小学校~中学校

その理由は7歳になる歳に両親が離婚。そこから帰ったら家で1人。小学校に入るも友達は一瞬はいっぱいできたんですが、すぐいなくなりますw

いつも家で1人、テレビゲーム三昧、遊ぶ友達はいつも同じ1人の子。もしくは年下の子。

なので僕が大人数とコミュニケーションなんて取れるはずがありません。すぐに学校の友達は去って行きました。2年生に上がる頃にはかなり底辺の暗い男の子に育ってました。

何人かは友達がいたと思うけど、小学生からの繋がりで今でも連絡取ってるの1人くらいかな?本当に友達少ないなwだから将来コミュニケーションの本を読みまくることになるw

家で1人なので宿題もしない。提出期限は守らない。学校に行っては怒られて、それでも家に帰ってすぐTVゲーム。家はそこまで親しくない友達のたまり場。それでも人が集まるのが好きでした。

外が怖くて自宅でしか安心できませんでした。他を知らない、知ろうともしなかった。1人で育つとコミュニケーションは取れないし、外出るのが怖くなります。学校行くのも正直嫌でした。

ひたすら家にいたのでなので超ゲーマーでした。当時スーパーファミコンでパワプロって野球ゲームがあったんですが

その時やり過ぎて超強いコンピューターでも30:1とかで圧勝してて、友達と対戦したら80:0とかで勝ってましたw。今はスマホのゲームアプリでもあります。もうしてませんけどw

今でもゲーム友達と当時の話で盛り上がります。当時は、とにかく勉強よりかゲームとか漫画ばかり読んでました。家にゲームがいっぱいあって漫画いっぱいあるとたまり場になる。

でも僕はそれが幸せでした。1人になるのがとにかく嫌だったんです。年下の子を泣かしてでも家におってもらったこともあります。誘拐やんwって今は思います。

当時の男の子へ本当にごめんなさい。中学校卒業まではこんな感じで生きてきました。なので学校の基礎知識と人と仲良くなる方法はほとんど知らずに育ちます。

わがままで自分のことしか考えてなかったと思う。これでは友達ができるわけがない。コミュニケーションもうまく取れなかったし、僕は中学までを暗黒時代と呼んでますw。

自分の軸もしっかりしてないから友達もずっと安定してなかった。中学まではそれが普通かな?

高校時代

高校ではさすがに変わりたくて、今度はもっと友達を作ろう!イケてるメンバーに入れてもらおう!と取り組みました。この勢いがうまくいき、なんとイケてるメンバーに入団!すぐ抜けさせられますがw。

そのままの勢いでスポーツの部活に入ろう!なんかモテそう!今までは帰宅部w。入ったのがなんとなく全身の運動になるからで水泳部に入りました。きついとかしんどいとかの概念無し。

だって運動したことないからwしんどいとかも甘く見てました。なんとなくできるとか思ってたw

何も知らなくて入部。まじで3日間は死にそうでした。すぐ辞めようと思ったんですが、4日目でめっちゃ身体がスムーズに泳げる!ってなってそこから楽しくなりました。

この経験があったから嫌なことでも続けてみたら意外と楽しいんじゃないか?って思えるようになりました。結局1年もせずに辞めちゃいますが

辞めるきっかけはイケてるメンバーから戦力外通告!グループからはみ出されました。これはかなりショックでした。何もかもやる気をなくし、学校も1か月サボる。学校を行ってもはみ出されるだけだし。

今思い出しても心がチクッとします。初めて多くの友達ができたと勘違いしてたので、本当に傷ついたのを鮮明に覚えてます。心の傷というやつですね。深い傷です。

小学校から中学までは自分の気持ちに正直というかわがまま、他人に迷惑かけてでも自分のことしか考えてなかったので今思えばそんな人に誰も惹かれない。嫌われて当然です。

家で1人でいるのが多すぎたので誰かに傷つけられる。誰かと喧嘩する。口論する。意見の交換をする。交渉する。話を聞く。こういう事はほとんどせずに、その時間はゲームしてました。

ゲームと良く話してました(独り言w)。ゲームの点数はめちゃめちゃ高かったと思いますw。やり過ぎて流れとかも読めるし、すぐにクリアしてました。

メンタルが鍛えられてないのではみ出しに耐えられなかったんでしょう。ゲームは文句言わないし、励ましてくれるし、いつも中心においてくれる。点数良かったら褒めてくれるしw。

当時の僕はどうも現実とゲームの境界線がわかってなかったみたい。セーブデータがあればやり直しきくのにな、本当の僕はこんなはずじゃないはずとかばかり考えてました。

プライドも無駄に高かったので、グループを抜けたら戻れませんでした。そして新しいグループを自分から作りました!他校の生徒も混ぜたりしてその規模は100人くらいのコミュニティになりました。

グループで集まってよく遊んだり、色んな人と交流したりしてすごく楽しかった。ここで終わればサクセスストーリーですがここでもまた孤独を味わう事になります。

コミュティが多いので常に誰かと連絡しまくってました。繋がりを必死に守ってました。寂しい気持ちと1度戦力外通告で受けた傷で見返す気持ちがすごくあったので離したくない気持ちで必死でした。

とにかく人を集めようと必死でした。とにかく連絡を取りまくり離れないように頑張ってました。必死でやってましたが必死で作ったコミュティが奪われたり、離れてしまったり

こんなにやってるけど、それでも人は離れていく、誰からも感謝されない。与えてるつもりでもそれが感謝されるとは限らない。相手がどう感じてるかしろうとしなかったんですね。

そして燃え尽きました。自分の思うコミュティにならないし、慣れてないのに気を使いすぎて「プチッ」と何かが切れたように終わりを迎える。

急に全ての友達と連絡取るのが嫌になって、夜にサッカーするのがコミュティの中で一番活動してたんですが、それも行かなくなったり、ストレスからか誰かを仲間からを外したりと、

そんな自分が嫌になって全てのコミュティを抜けました。全てが無駄に感じてしまい。無気力です。それでも寂しいのでゲーム仲間のみのグループだけに属してました。

卒業前だったので元に戻ることもないままみんなとお別れ、それから偶然に1.2回しか合ってないなー。風の噂程度でしかみんなの近況きかなくなったな。今どうしてるんだろ?

かなりひねくれ者でへそ曲がりで寂しがり屋で気分屋な僕だったと思います。

スポーツクラブで勤務

その寂しい気持ちと裏切ったり、裏切られたりがあって認められたい。見返したい。その二つが重なって今のインストラクターという仕事にハマったのだと思います。

赤い看板の時はあんまり人を大事にしてないけど、人気があったので誰かは付いてきてくれてたし、お客さん(ファンの方)は絶対味方になってくれてたので居心地が最高でした。

人気はあっても仕事はちゃんとしてなかったので、社員希望でしたがなれず、当時のライバルに社員を奪われました。今思えばならなくて良かったけどもw。レッスン以外は仕事してなかったしw。

ひねくれ者なので赤い看板を退職します。まぁ社員としては評価も低かったし、レッスンはすごく好きでしたが、なんか負けた気持ちのままでいても楽しくないと思えたので強引に辞めました。

でも、4ヶ月前に退職願いを伝えたので迷惑はかけてませんよ!そこは変に律儀w。それだけインストラクターが好きだった。インストラクターの仕事だけは嘘つきたくない。

おっと、思ったより長くなってしまったw。今日はこの辺で、続きは転職後の飲食店のことでも書きましょうか。待ってないと思いますけどねw。

どんな人生も生きていれば何かつかめるし、次で僕という人間はどうやってできあがってきたのか?これから何を成し遂げようとするのかを書いていこうと思います。日記みたいで楽しいw

最後までありがとうございました。


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