今を生きるために、昔の思い出をブログに。過去に遡って未来を導く。自己分析編⑦

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インストラクターの仕事

どうも!アラフォーインストラクターのしげちゃんです!今回も過去に振り返っていきましょう!過去の自分の価値観や想いなどを思い出すと何がしたいのかが明確になります。

前回は飲食業界を辞めてスポーツクラブ業界に30歳で戻った話を少ししましたね!今回はここから始めて行きましょう!


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あらすじ

学生時代コミュニケーションをうまく取れず友達はほとんどできずに学生時代を終える。大手スポーツクラブに入社して化け物支配人と出会い。インストラクターになり表現の楽しさを知る。しかし社員になれず退職。

環境に甘やかされてきた僕は人間関係の作り方や自分の価値観が絶対に正しいと超ロングな天狗状態。飲食業界にバイトから始める。花形の仕事から裏方の仕事に一転。

様々な経験を経て内面を鍛えてもらう。本当にしたいことを思いだし飲食業界を退職。スポーツクラブに1からやり直し始める。衰えと太った身体で昔とのギャップを感じる。

新しい環境の中でどうやって仕事を覚えていくのか?飲食店とは雰囲気でどう過ごすのか?よかったら最後まで読んでください。

辞めるときが来た

飲食業界をふと自分が死ぬときに本当にしたい仕事なのかと自問したらインストラクターに戻りたいと強烈に感じた僕ですが、復帰するのには相当勇気がいりました。

すごく環境の悪くなってきてた職場ではありますが、給料は安定してたしたぶん通常の個人店に比べるとそこそこもらってた方だと思う。社会保険とか諸々引かれても25万以上はあったはず。

ボーナスこそないが良い給料だった。感情的な方で負担も大きかったけどトラウマ級のお店に比べたらかなり高額に感じる。トラウマ級のお店は3~5万だったと思う。

よく覚えてないが月にそれだけしかもらえない。記憶違いかもしれないw思い出せないwとにかくお金は本当になかったw借金してたしw今は全額返済してますのでご安心をw

この安定した仕事でもインストラクターになりたい。自分の意思が通る環境にいたい。誰かの駒になりたくないという気持ちがものすごく出てきました。

前回書いたように一大決心で辞めました。そして昔の大手のスポーツクラブに戻ろうと面接を受けます。もう雰囲気があのまま止まってた僕もいけませんが、かなり変わっていた。

いざ面接へ

スタッフはもちろん支配人も替わってたので距離感を感じた。そりゃ退職してから5年経つと当たり前かw会員さんはまだいてる方が変わらず挨拶してくれてうれしかったなw

面接の時から違和感があった。たぶん落ちるなこの感じ、あがいてみたけど結局落ちて別のクラブを探してもう一つの大手に面接(A社)と親会社が大手のスポーツクラブ(B社)の2社を受けた。

ややこしいのでA社を先に受けて1.2週間後に返事といわれて他のクラブも1つ落ちてるので不安なのでB社も面接を後日しておいた。A社は人通りも多く駅の中にあり常に人通りがあって

大きくきれいで騒がしい感じの横長に広いスポーツクラブ。それに比べるとB社は駅からは近いし独立したビル一棟に入っており、面積はそれほど広くないが縦にながいビルなので

各フロアにスタジオやトレーニングジムやプールがあって当時も今も珍しい作り方だった。A社は人通りも多いので会員さんもスタッフも入れ替わりが激しいと言っていた。

少しここが寂しい感じした。

B社は前にいたスポーツクラブと雰囲気がとても似てて、地域密着でやっていると言っていたので入れ替わりは少なそう。当時のスローガンも前の職場と同じだった。

僕の働きたい気持ちは当然B社。しかし、A社を先に面接受けてたので先に連絡があった方に行くべきだろうなと思っていました。B社を面接行ったのもA社の4日後だったので

すぐに連絡がないと無理だな。と思っていたのですが次の日にB社から連絡wすぐに承諾させていただきました。その電話切った直後にA社からも合格に連絡。

掛け持ちも考えたけど、B社1本でいこうと思いました。それだけ前回の施設に似てたのもあるけど早い連絡で必要とされてる感じがしてうれしかった。

青い看板のスポーツクラブへ

復帰後、いきなり感じたのは自分の身体の衰え、先に言ったように縦に作られてるのでとにかく階段移動で上下することが多い。初日で足がパンパンだったwそんなに動いてないのにw

相当ショックを受けたのを覚えてるw体重も重く筋肉量が少なくて体脂肪がおおい肥満体型。恥ずかしかったwでも元々やってたのもあって、研修は猛烈なスピードで進んだw

当時の研修は始めてバイトするときは3ヶ月くらいあるプランをこなさないといけない。今じゃ考えられないくらいのプラン。簡略化されてなく、いつ使うかわからない筋肉の名前や骨の名前。

マシンジムに立つときに確かに必要な基礎知識なのだが、意外といつも来てる人たちと会話するので日常会話の方が多い。2年後くらいにこのシステムを大幅に変更する人員として抜擢されるんですが

それはまた後ほどw当時の研修を1ヶ月ほどでクリアし、プールのレッスンも経験してたのでレッスン研修も早くクリアしすぐに何本かプログラムをさせてくれるようになりました。

あの時の研修のすすめるのを臨機応変に対応してくださった当時の支配人と社員さんには本当に感謝してます。ものすごくスムーズに行って楽しかったし、

本当に強くてニューゲームしてるような感じで、段々昔の自分を取り戻してるようだった。中身はずいぶん変わりましたけどwそれに何人か同じ年の人がいたw

そこもうれしかったwしかしこう記事を書いてて思うけど当時の僕はやっぱり少し性格が変wなんか対立意識を常に持ってたイメージがあります。飲食で働いてたせいだろうか?

確かに飲食の時は誰も信用できなくなってたな。オーナーの機嫌取りのためにみんな平気で裏切ってたw1人を除いては、あの人は人間として信用できる人だった。

今思い出してもサラリーマンの会社の縮図のようだったなw幹部は身内ばかりで固めたしw他人を信用していない環境で育つと自分もそうなるのかも知れない。

若いバイトの人たちもみんな良い子でよく相手してもらったな、しつけ役になって面倒も見させてもらった。しかし、まだ僕も未熟なところもあって怒りすぎたり、

今みたいに感情のコントロールできなかったので感情的に怒ってしまってそれを正当化してたり、考えて見れば前のオーナーのような感じになっていたのかも知れません。

感受性が高いのかなw

当時のバイト皆さんには申し訳ない気持ちが出る。感情的になればなるほど人は離れていく。当時の僕は自分の経験や価値観が絶対に間違いないと思い込んでました。

若い人より経験を積んでるから、自分の方が偉いと思ってたのかも知れません。情けない感情です。最初皆さんに持ち上げられたので調子にのっていたのかも知れません。本当に恥ずかしいw

大手にいてた頃の気持ちに少し戻っていたのかも知れません。でもこの感情はフリーランスになっても続いてたな。話を戻しましょうw

しばらくして研修担当者になり、人気プログラム2つも担当させてもらう。

レッスン数はプールも含めると週に多いときで14.5本はしてたかな?そのあと深夜のバイトもしてた。今は19本w深夜のバイトはしていないw

最初はスポーツクラブのバイトだけでは生活できません。お父さんを養わないといけないので、夜勤のバイトを始めた。ここも色んな人がいて面白かったなw

有名な青いイメージのコンビニでバイトを始めます。コンビニのバイトって正直なめてました。どうせレジ打つだけだろ?と、いやいやものすごく幅広くやる事があるんです。


深夜のバイト

覚えてる範囲で順番に説明します。もしやるなら覚えておいて良いでしょうw深夜のバイトは10:00~6:00まででまず着替えて名札の下にあるバーコード読み取り

出勤したことをPCに入力。監視カメラがたくさんあるので管理されまくりの仕事です。二人で出勤してまず最初はレジの金額チェックからだったかな?

もう一人は返却予定の本の種類をPCから出力して回収して段ボールにつめる。段ボールはジュースの陳列時にできた物を使用。その間お客さんは来るのでレジをお互い兼任しながら行う。

次に食物の廃棄回収。ある時間になったらそれをする放送が流れますwこれは面白かったなw廃棄のもはレジには通らないようになってるのでお客さんに絶対廃棄の食物は売れないようになっていた。

かなり進んでるなと思いました。このお店では揚げ物の惣菜は深夜はほとんど提供しておらず、いやバイトが勝手にしなかっただけかもw時間によって行動が決められてるので

深夜のバイトと言ってもやる事は多かったです。配達も時間によって決められてるので納品が来たらバーコード読み取り、陳列していく。ジュースの陳列はめっちゃ寒くて大変でした。

この仕事はみんな嫌がってたなw寒いしw2:00か3:00がパンや常温の商品納品があってその陳列作業がエグかったです。たぶん夜中に集中しすぎしてた気がする。

月曜が新商品の日なので日曜日の夜勤が1番不人気だった。陳列はそのままたくさんあるし、垂れ幕や登りを変えなきゃならんし、新商品が1番目立つ場所に置かないといけないので

そのスペースも空けなきゃならない。深夜のバイト時に頭使わせる仕事はさせない方が良いなと思ったw接客がめっちゃ悪くなる。次の納品までに終わらせないといけない物が多いので焦ってる。

しかしお客さんが来ないわけじゃない。作業が多いと作業中心の態度の悪い従業員ができあがってしまう。

とにかくバタバタしてた。どっかの時間帯は楽してたような気がする。明朝と深夜に負担が行ってた気がするのは他の時間帯を知らないからだろうか?3:00頃から忙しさのピークで

一人は常温の物の陳列。もう一人はジュースの陳列。しながらレジ、4:00に終われば早いほうでそこからPCで返本入力。廃棄数入力。5:00には○○君の揚げ物や惣菜を一気に作る。

仕上げにサンドイッチやハンバーグまで仕上げなきゃいけなかった。6:00に終わる頃は結構ヘトヘトになっていた。書いてみて思うけどやっぱり負担が多かった気がする。

フライヤーの掃除もどっかの曜日で決められてたな。全部深夜にのしかかってた気がする。飲食経験しててスピードがあってもギリギリ間に合わない日もあった。

もし、コンビニでバイトをするなら覚悟しといた方がいい。この他にも郵便物の受け渡し。切手。自賠責保険。コンサートなどのチケット。キャッシュレスの支払い方法が多くなってきてる。

確かに若い人がするバイトって感じwおじさんは辛かったwカップラーメンもジュースもお菓子も毎週新しい物が開発されている。それもびっくりw

当時のスケジュール

深夜バイトと掛け持ちでスポーツクラブは週5回・深夜は週2.3回。スポーツクラブはもちろんレッスンたくさんしてた。1日平均3本だろうか?

そのあと深夜、たまにそのまま朝からスポーツクラブのバイトの日もあった。

深夜で8万円~10万円でスポーツクラブは契約社員のような形だったので社会保険料や厚生年金も払ってたので最初の方は12万円~13万円くらい。後半はさらに有料プログラムで18万円まで上がった。

スポーツクラブが忙しくなると深夜も減らしていたので月に平均25万くらいだったので生活はなんとか養っていけてた。当時のお父さんはなぜか働いてくれなかったな。

これだけ働いてお金はこのくらいです。時間の対価は本当によく考えた方が良いですよ。3年ほど働かせてもらって途中社員登用の話ももらったのだが、前にいた大手の時とは考え方が変わっていた。

社員ではなくフリーランスの人に憧れを持っていた。自由の槍。自由な生き方をすることに強烈に憧れた僕は社員登用の話を断り、フリーランスで働くことを決めた。

次回はフリーランスになるまでを書いていきます。もう長いのが当たり前なので次もこれくらいになるでしょうw

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