今を生きるために、昔の思い出をブログに。過去に遡って未来を導く。自己分析編⑥

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インストラクターの仕事

どうも!アラフォーインストラクターのしげちゃんです!今回も過去を振り返っていきましょう!もう1つの飲食店での勤務からスタートでしたね!

前回は忘れてたトラウマ級の思い出が出てきてびっくりしました。しかしそこを思い出せてよかったのかも知れません。どうして嫌なのかも思い出せたし、ちゃんと会いたくないと思えましたw

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あらすじ

大手スポーツクラブに入社して化け物支配人と出会い。強烈に自分を変えてもらい。インストラクターとして順風満帆だったが、ライバルが社員登用され自分は退職。

しかし環境に甘やかされてきた僕は人間関係の作り方や自分の価値観が絶対に正しいとまで思っていた。そしてある意味モテてたので超ロングな天狗状態。

こんな僕が飲食業界にバイトから始める。花形の仕事から裏方の仕事に一転してまたまた変わっていく内面。鼻をへし折り、今の自分を認め変わっていく

2つ目の飲食店で長時間の拘束勤務と給料をキチッともらえない事で自我が崩壊しかける。このまま居てたらおかしくなると思い逃げるように退職。

逃げるように辞めた

逃げるように辞めたあとお金がなかったのですぐに派遣のバイトなどをして働いてました。派遣は3つくらいしたな、特に資格もないので誰でもできる仕事をした。

1つはひたすら靴を段ボールに入れる作業。もう1つはひたすらエアコンなどの部品を段ボールに入れる作業。最後はひたすら新聞に挟むチラシの紐を切る作業。

この3つともしんどかったなーw同じ事8時間もするんだからw僕には合わないとはっきりわかったwなのでまた違う飲食店でバイトで働き始めます。

このとき大手のスポーツクラブに帰ろうと思わなかった。見栄張って辞めたのに何も得ないまま戻るのが何か恥ずかしい気持ちだったのを覚えてる。だからもう一度飲食業界で仕事をした。

3つ目の飲食店勤務

転々としたあとに結局飲食業界に戻ることにした僕は地元は怖かったのでw隣町でバイトすることになった。オープニングスタッフ募集!という広告に惹かれた。

大手のスポーツクラブもほぼオープニングスタッフだったので仲良くなれるかな?と思い応募。他に何もしてないフリーターはそりゃあ重宝されるw即合格w飲食店の経験もあるから余計にw

お店は洋風の南国風の作りで「ベビーフェイス」という店の名前でオムライスやパスタの大盛りが売りの店でした。当時は制服もかわいくておしゃれだったので若い方に人気でした。

大盛りもすごい大盛りですもうレスラーサイズってのがあって、大人4人で丁度いいくらいの量。若い人は3人くらいかな?でも勢いのある子は1人で挑戦してたなw

パスタも同じサイズがあるし、お店もおしゃれな個室なのでカップルからファミリー層まで人気があった。カップルはイチャイチャし放題w家族は気軽に楽しめる。

オープンしたてでぎこちない感じも楽しかったし、忙しい時間をみんな勢いで乗り切るってのが本当に面白かった。スタッフも笑顔だとお客さんも楽しいと思う。

ここで少しずつ仕事に対して責任や態度が変わり始めたな。大手の居酒屋で勤務してたので仕事モードに入ると素早くメニューをこなしていた。急いできれいに出すというのは最高に楽しいw

そのままの勢いで社員になる。で1人社員辞めるwいきなりナンバー2になるwもちろん前回(トラウマ)の職場じゃないのできっちり教えてもらいながら仕事をしていった。

社員として働く

仕込みも1から学んだし、包丁や炒め物。オムライスやパスタの作り方もここでマスターしていった。営業時間は11:00~23:00で社員は12時間の拘束。でも最初は全く嫌じゃなかった。

雰囲気が楽しかったから、最初もオーナーは優しかった。あとで書いていきますがオーナーは職場に来ない方がオーナーと雇用者、お互いのためになる思う。全部を管理しようとすると

人は嫌がって離れるし、やり方を決めつけてしまうと本人のやる気がそがれる。もっと任せて主体的になるように仕向けた方が良い。じゃないと自分もしんどいし、見られる方もしんどい。

話を戻しますw1番驚いたのは前回のトラウマ級のストレスがない!給料がいい!当時は儲かってたしオーナーも人を大事にしてた!最高に良い環境と思ったw

使う時間がないのでお金も貯まっていく。初めてブランドの財布や靴を買ってめっちゃうれしかったのを覚えてる。お金って本当に大事wこの時はまだ根本に気づいてないけどw

丸1日の休みは週に1日あって、午後3:00で帰れる日が1日あったので週休1.5日みたいな計算。前回に比べると断然自分の時間があったw説教もないしw

雇用者と雇用主の価値観

最初は言い職場だったんですが、徐々に売上が下がってくるとオーナーの機嫌も悪くなり、スタッフの指導に本気を出す。最初は本人の底力出すためにやっていたと思うが、

売上=人件費という頭なので下がってくると人を少なくして、一人一人の負担を大きくしていく。ある程度はこれでいいと思うのですが、低くしすぎると負担が大きくなりすぎてしまい。

結果退職する人が増え始めた。ここでなぜだろうと考えて、雇用者と雇用主の意思が共通して問題を両者が解決できれば良い会社になれたはずなのにオーナーの価値観でお店をすることになる。

さらにプレッシャーを与え、仕事の量は増えていき、みんな疲れ始めてくる。とにかく机を素早くきれいにすることを考えて、自分の仕事が1番よくやっていると見せつけ文句を言わせない。

そんなことをしているとスタッフはそこばかりに注意が行くので結局お客さんに笑顔というサービスをしなくなる。もちろんきれいであるのは大事だが、掃除がメインなのだろうか?

回転数上げて売上あげようとしてただけなのかな?料理も急げってよく言ってたな。なぜかせかせかしてたな?もちろん遅すぎるのはだめだと思いますが味もちゃんとしないといけないと思う。

料理の味も大事だが1番は心地よさじゃないだろうか?気持ちよく帰れたらそれが1番じゃないだろうか?美味しいお店なんていくらでもある。距離が遠くても感動級の味ならいくよね?

ベビーフェイスはチェーン店なので大体同じ味だし同じような店構え、似たようなお店いくらでもある違いを出すなら少しのサービス精神な気がする。

それはスタッフが心地よく働けてるかどうかだと思う。

心地が良いと自然に笑顔が出るし、気遣いもできる。うれしい気持ちは伝染したくなるものだと思う。結局この店は段々雰囲気は悪くなり、環境は劣悪になり、コスト削減していった。

人はコントロールできないと思う。オーナーの目的をしっかりとスタッフと打ち合わせするべきだと思う。最後はスタッフをタダの駒としか見ていなかっただろうな。

お金儲けるなら、稼いでもらってると思った方が良いと思う。スタッフがオーナーの代わりに現場でお金を稼いでるのだから感謝しないといけない気がする。

任せれないなら複数の店舗経営はしない方が良い。絶対に潰れる。

実際に当時オーナーが所有していたのは4店舗のうち2店舗が潰れた。今は知ってる限りで2店舗残っており、他に何かしているかはわからない。いらちな人とは連絡取りたくないw

他の2店舗も遠いので行く気になれないし、ここはちゃんと退職してるのでいつでも店に行けますw

この店の嫌だったことは失敗すればみんなの前で怒鳴られる。上も下も関係なく怒鳴られる。いらついた気持ちを我慢できないらしい。しつけてる感じだったのかな?

辞めるちょっと前はみんなオーナーの機嫌を損なわないように働いてた。オーナーが気に入らないならメニューに出さない。新メニューも考えさせてくれない。

心境の変化

タダ居てるだけの職場。会社の駒感を毎日感じていた。段々インストラクターに戻りたい気持ちが出てくる。この会社には4年くらいいた。実は最初の1年くらいで退職を申し出てた。

この時もインストラクターに戻りたいと思ったから、でもできなかった。人のせいにするつもりはないがお父さんが無職になり僕が稼ぎ頭になってしまう。

タイミング的にまだ取り消しにできたので理由をしっかり話し、戻してもらった。ここに恩を感じたので最後の最後まで残ったのかな?僕が辞めるときにはほとんどの人が辞めていた。

それでも残った人はどうなったのだろう?2店舗にいるのかな?それから3年は働いてきたが、ふと、このままの仕事で死ぬのかな?と考えたときに絶対に嫌だと思った。

人生は1回しかないし、やりたいことやって死のう!って思い一大決心30歳手前で転職を決意!決めたら何があっても行動する謎の頑固な僕は辞職を申し出ようと店に行く。

その日がびっくりするくらいオーナーの超不機嫌な日w言うの辞めようかなって一瞬は思ったけどある程度は覚悟してたので「オーナー。4ヶ月後に退職させてください。」

MAX不機嫌オーナーは罵る罵るw「お前みたいなやつは!どこ行っても通用せーヘんぞ!」次の目的もはっきりしてたし、自分のしたいことはこれじゃないと

自分の中ではっきりしてたので、何も響かなかった。ただ、なぜ4ヶ月後かというと、知り合いが一人この会社に入ってたのだが、急に辞めた。次の仕事を決めたそうな。

それはいいんだが知らなかったことがショックだった。やっぱりこの人は信用できない人間だなと強く思ったwそれもあるので少しでも次の戦力が育つまで時間が居るだろうと思って4ヶ月にした。

結果誰も育たなかったけどw4ヶ月目が来る少し前にとどまらないかと言われたがもちろん断りました。最後に会社都合にしてくれたので失業保険がすぐに手に入って正直うれしかった。

この失業保険と貯金でお父さんを初めての沖縄旅行に連れて行きました。この思い出は本当に楽しかったそうで亡くなるまでずっと良い思い出だと語ってくれてたな。よかった。

帰ってきたインストラクター

最初は元々いた大手のスポーツクラブに戻らせてもらおうと思ったけど、バイトで面接落ちw他にも受けてみたけど4社受けて2社落ちるw30歳の壁という物を感じたw

2社受かったのだが最初のスポーツクラブと雰囲気が似てたお店にさせてもらった。受かって色々と教えてもらうときに感じたのは違和感。まずは衰えw次に他のバイトに人たちが若いw

いつの間にか年を取ったのだと感じた。階段上がるのもきついし、思いっきり太ってたw最初のスポーツクラブは58㎏とかだったのがおそらく75㎏くらいまであったと思うw

まかないが主にオムライスかパスタだったのでw炭水化物取りまくってたwドリンクバーがあったのでジュース飲み放題だったw虫歯もひどかったなw

当然だが失業保険が切れてから働き始めたのでここのバイトだけではやっていけません。お父さんを養っていかないといけないのでw深夜のバイトも始めます。初めての深夜バイト。

そんなことよりも自分がしたかった仕事に戻れたことが本当にうれしかった。はやく仕事を覚えてレッスンしてた頃の自分になりたかった。内面を飲食業界で鍛えられてそして戻ってきた。

身体は衰えてるけど、当時のパフォーマンスとして最高の自分を越えてやろうと思ってました。次はこのあたりから書きましょうwまた長くなってしまう。基本これぐらいは書くなw

でももうすぐ終わりですw大分近づいてきた。次は今のインストラクター近づいていく話。

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